マコの闘病日記 |
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五回目の命日を今年の六月十一日で迎えてしまいました。月日の流れる事の速さに痛感しております。 五年ごとに 神道では祭祀を執り行うのが 仏式で言う 三回忌 七回忌等にあたります。と 言うわけで今月の九日の日曜日に ごくごく親しい従兄弟や叔父叔母 そしてし市内在住の友人に集まっていただき 墓所のある常盤共有墓地にて 五年祭を水戸八幡宮より神官を招き執り行いました。 もっともっと多くの方に声を掛けるべきかとは思いましたが 慎ましくと思い遠方の方へは知らせずに行いましたが それでも遠くはイギリスから わざわざ自宅まで来て頂いたオヤケ 東京で一緒に仕事をしていたという山田さん 渡辺さん 仕事で出席できないからと 大きなお花を届けてくれたカヨ。 思い描いていたより 沢山の方にお参りして頂き 感謝の一言につきる思いでおります。 昭和五拾年二月十四日バレンタインディに生まれ 平成二十年六月十一日逝去 三十三歳(享年三十四歳)でした。 今振り返り どのように共に過ごしてきたのか 思い起こすのですが 高校の高学年になると あまり共にすごす事も無くなり 卒業とともに上京したので マコの祖父が病で入院したので 介護のために帰水するまでの数年間のことは ほとんど知らないまま。 思い出して 思い出されるのは 中学に入るまでの幼少期のことばかり。それ以外は病を知って闘病生活に成ってからの事ばかりです。 女性として輝いていただろう そんな時代のことは 何にも解らずにいる事が何んとなく寂しく思うこの頃です。時折東京でともにすごした山田さんが尋ねてきてくれるとき 少しですが 知ることが出来るぐらい。もうこのブログを開いて下さる方も少なくなりましたが 東京での生活を知る方がブログを開いて下さったら 是非その時代のマコのことを書いて(公開)欲しい思いでおります。 五年の月日がたつと 多分自分のことだったら ほとんどお参りに来てくれる人は居ないと思いますが マコのお墓には 私たち以外の方が お花やお線香を 黙って捧げて下さる方が 沢山おります。 ありがとうの一言に尽きます。 一言の言葉を書いておいて言ってくださる方。 叉ブログを読んでお参りに来ました。と言う方。 お逢いしてお礼が言いたくても 出来ずにおります。 そんな訳で今日 マコの墓前に 来奉者に書いて戴こうと 記帳帳を置いてきました。 是非お越しに成りましたら 一言の言葉を書き置いていって下さればと思っております。 五年目を迎えて 改めて 多くの友人 そして コメントを寄せてくださった沢山の方に 改めて感謝しております。 #
by amamasa2006
| 2013-06-13 21:57
2006年2月4日 その日マコが一番輝いていた日。 今日で7年目。 ふとその場所(水戸八幡宮)に立ち寄ってみました。七年前の今日と同じように 節分祭のかたずいていない境内でしたが 七年前を思い起こし しばしマコとともに過ごしてきました。 前にもこのブログで書きましたが 七年前の一月三日 婚約が調い春か秋には式を と 話したばかりの30日 今迄痛んでいた足の検査のつもりで行った病院から別の病院での検査を指示され 結果 右大腿骨軟部肉腫 肺への転移著しく 余命半年の宣言を受け6日より 入院治療が決まった事を 先方の両親の計らいにより 結婚式を挙げようと言うことになり 水戸八幡宮の氏子であることから 節分祭の豆まきの忙しい中 無理やりの挙式をお願いして マコ 一世一代の晴れ舞台に望んだのが 今日二月四日。 マコの一生の中で 一番輝き 親の贔屓目からか 一番綺麗でした。 当日の前の夜 前夜祭と称してどこかで友人に囲まれての夜を過ごし 疲れてはいるようでした。 記念に写した写真を今も振り返りながら見ています。式の後も 私の経営する35人も入れば超満席の店で 立って居る場所すら無いほど友人 知人 身内の方が集まり どんちゃん騒ぎの披露宴。 そして この先傷んだ肺では歌うことが叶わなくなるからと 大好きなドリカムの大きな声で熱唱 その時の輝きが忘れられずに マコが残したドリカムのCDを時々聞いている自分。 この日が一番の思い出にもなっています。 掲載の写真は 今から神社の中へ入るところ。 下の写真は今日の八幡様です。 #
by amamasa2006
| 2013-02-05 03:41
今年の六月十一日 四回目の雅子の命日を迎えてしまいました。 その日にブログを更新したかったのですが 今頃になってマコが居ない 何か物足りなさを感じ 更新のためのPCに手が出ませんでした。 四年たった今でもこのブログにアクセスして下さる方が沢山居てくれるし 四年たった今でも祥月命日には 欠かさず墓前に花を手向け マコの部屋に集って下さる方が居ることに感謝しながらも なかなかにブログの更新に手が出ませんでした。申し訳なく思っております。 さて この六月十一日には 何時ものようにマコの墓前に集って下さる方 遠方はイギリスより生花を届けてくれるマコの親友。 そして東京でお世話になった方からもお花を届けて頂き アップした画像の通り にぎやかな祭壇となりました。本当に感謝 感謝の一言に尽きます。 以前にもお話ししたように これが自分の場合だったら 花一輪も無い そんな祭壇だろう と。 お墓によって下さったhiroさん そして名前を告げずにお花を手向けて頂いた方。 今度は是非マコの祭壇にも手を合わせてに立ち寄って下さいね! 本当に感謝いたしております。 四年の月日はアッと言う間に過ぎてしまいました。 今頃になって時々マコの子供のころの夢を見ます。 そして マコの居ない事に何か空白を感じさせられ やっぱり居なくなったんだなー!って さみしさを感じています。マコが旅立つ丁度三か月前に 長男に女の子が授かり その子が四歳。逢うたびにあの頃のマコを思い出し あの時は海に 田んぼにと やたら連れまわったことを思い出して 長男の子(孫)が異常に可愛く感じています。 今年の夏祭りに来たときには お祭りの金魚すくいに連れて行って欲しいと言うので もっと楽しませてあげようと 金魚屋さんに連れて行き 小さい金魚50匹と金魚すくいの紙の網100枚を一緒に買ってきて 最初は一匹もすくえずにいたのですが東京に帰るときには 一枚で三匹も四匹もすくえるようになったと喜んでいる孫を見て 自分が一番喜んでいた姿を 昔に振り返ってマコを思い出しております。 なんだか自分の話になってしまいました。申し訳ない。でも今となっては自分から見た思い出のマコだけしか書けませんので………………………。 お盆の時祭壇を作り直していたら まだ小学生だった時のマコの写真が(他にも沢山ありますが)出てきたのでしばし手を休めて 写真と時を少しておりました。 これからはマコにしてあげられなかった沢山の何かを 孫に注いでいきたいと思っております。 とりとめのない話になりました。 沢山のマコの友人 そして このブログを読んでくださっている方々に 感謝と 多くの幸が訪れることを願いつつ 四年目の更新をさせて頂きました。感謝。 #
by amamasa2006
| 2012-08-25 04:47
このブログのマコが 旅立ってから今日で三年の月日が流れてしまいました。 時が経つにつれ ブログを読んでくれる方など 居ないだろうとPCを開く回数がだんだん減ってしまい 時折開いても 心無い投稿が続き(以前はこのサイトの管理者が削除してくれていましたが)時と言う物は非情なのだと そう思っていましたが 2010年の10月にkEISUKEさんが そしてこの6月4日には順さんから 新しいメッセージがあり まだこのブログを開いてくれる方が おられることに娘マコに 又接することができたのだと うれしく思っております。KEISUKEさん そして順さん 順さんにはご結婚おめでとうと 言わせて下さいネ KEISUKEさんの猫 たぶん可愛かったのでしょうね。 順さんの この病気の大変さ 理解できるつもりでおります。 そんな中 8年間もの月日を頑張り抜いたことに そして結婚したことに 本当にうれしく思います。娘マコは その結婚と言う事を決めたその矢先 この病気が発覚し 三ヶ月の余命と診断をされ 言葉すら出ない 何を思い 考えれば良いのかも解らなくなるほどの状態でした。三年前の今日6月11日旅立ちましたが この三年 毎月の祥月命日には 従妹の潤子 友人のゾウさん 桜井 みほ 学 そして 今日遠方より花を届けてくださった トウジョウさん マコに変わって御礼を言わせていただます。本当に毎月欠かさず何人かが11日にマコの霊前に集まってくれている事 まだまだマコがそこにいるように嬉しく感じているそんな日々 特に3 月11日の あの大震災のその そのときにも いつものメンバーに加えて 息子と孫が来ており 全員で庭に逃げ座りこむように ゆれが収まるのを供に過ごしました。家中の家具 冷蔵庫等が倒れ その日は孫の誕生日でも あったので 孫は 地震誕生日 地震誕生日と 心に大きく印象が残ったようでした。 今はそんな孫が マコの幼少の時を思い出させてくれるのか 可愛くてしかたがありません。同じ女の子でもあり 娘マコにはしてあげられなかったことを 何でもしてあげたくなります。孫がマコの年になるまで 自分が存在しているかは解りませんので せいぜい今のうちにマコと過ごしている そんなこの頃を過ごしています。 もしかすれば 又 このブログを開いて下さる方が折るかも知れないと 三年目の今日 投稿してみました。 マコの父として。 #
by amamasa2006
| 2011-06-12 04:51
マコの旅立ちより 早 一年。 ブログも其のままにして置いた方が良いのかと
マコに代わっての投稿を差し控えていましたが 一年たった今でもブログを開いてくださる方が居られるので 一年を期に 前の記事に記載したマコのモニュメントを公開させていただきます。 さて 一年って早いものですね、 マコが旅立って この一年 多分私の場合なら 妻と子供(息子が一人)ぐらいしか お参りはしてくれないだろうし 一年もたったら 忘れ去られているのでは と 考えてしまいます。 それがマコの場合 毎月欠かさず友人 私の義理の兄弟 マコの従姉妹数人がいずれとも無く集まって マコを囲んで ワイワイガヤガヤ マコと話しをしたり 花を手向けてくれたり 又誰かしら わからないのですが お墓に お花や線香をあげて頂いております。 毎月祥月命日は あたかもそこにマコが居るかのように。 マコは 私たちは通称 ノラ と呼んでいました、 野良猫のノラ 猫はいつの間にか何処かへ出かけ いつ知れず部屋で寝ている、 そんな事が多かったからですから 今でも天上に召されたと云う感じがしません、 多分又何処かへ遊びに行って 今度のお盆(新の7月)には帰って来るのだろうとしか。 多分 三ヶ月の命と言われたのに 二年半の時を ともに過ごせたせいだと思っております。 その二年半 このブログによって勇気付けられ 元気付けられていた事を 改めて読み直すたび感じ コメントを送ってくれたみんなに 改めてお礼を申し上げます。 先日の11 日 マコの一回忌の祭祀をおこないました。 友人 親族が集まりマコをしのんでいただきました。 又 遠くはイギリスより そして千葉 東京等遠方の友人より献花を戴き 東京よりご家族揃ってお墓に 祭壇にとお参りをしていただき 嬉しく思っております。 祭祀を取り持った 神主様の話によると 一年で神様の下に神となって行くそうです、 それならと 神になったマコに 今度はみんなの健康と幸せを授けることこそが 恩返しだよと 今はマコに言い聞かせている毎日です。 どうぞ皆様も お体を大切に過ごしてください。 健康であっての人生ですから。 取り留めの無い投稿になってしまいました。 次回更新の時迄。 マコの父より #
by amamasa2006
| 2009-06-18 01:52
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